緑の父 杉山龍丸

 インドに於いて、グリーン・ファーザー(緑の父)と呼ばれ、伝説となっている日本人がいる。杉山龍丸(1919~1987)という。文字通りインドの不毛な地を緑に変えた日本人だ。この人の父親は、あのキテレツ作家・夢野久作である。

 ― 砂漠を緑に ― その執念はすさまじく、自分の全財産を投げうって、ただただインドの緑化のためのみに奔走。日本政府や学会からは何の理解も援助も得られず、むしろ邪険に扱われる始末だったが、決して諦めず、荒廃地の緑化を成功させた。そしてその緑は今なお豊かに生き続けている。

 龍丸は自分の遠い祖先がアーリア人だったと信じていたようで、インドに対して強い関心を持っていた。あるインド人との接触を機に、インドを訪問。その際にパンジャブ州の砂漠化した光景を目の当たりにし、一念発起する。そもそもの砂漠化の原因は森林の伐採である。これにより土砂崩れが頻発し、急速的に砂漠化していたのだ。

 これに対し龍丸が行ったのは、ユーカリの植林活動だった。ユーカリは成長が早く、根を深くはる性質があるため、地下水を溜める効果がある。龍丸はその筋の専門ではなかったようだが、それゆえの発想が奏功したのかもしれない。470キロメートルにわたり、ユーカリの植林が進められる。その途方もない仕事の最中には多くの問題があった。現地人の理解は得られず、日本政府から援助は一切出なく、深刻な干ばつが発生したり頓挫寸前の事態も数多くあった。その道は困難そのものだった。
 さらに資金的な問題も発生。自らが経営していた広大な農園もすべて売却、全財産を投げ売って資金調達を行った。

 その苦労が実り、砂漠だった土地は肥沃な緑の地となり、飢餓で死ぬ人は激減。それどころか農耕が可能になった。食糧生産ができるということは経済活動も盛り上がるということ。周辺の人々の生活が豊かになった。日本はもとより世界中からその功績を認められないまま、一部の間で伝説となった。功績をたたえられて後世まで語り継がれるべき偉人であるが、いまだに大きく伝えられることはないのが非常に残念ではある。しかしながら彼が残した功績は、確実に人々を救った。人ひとり救うことだって凡人には難しいことだ。遠い国の人々のためにこれほどまで奔走した生き様は、独立の父・ガンジーと並び称され、緑の父・杉山龍丸と呼ばれインドでは語り継がれている。

 パンジャブからパキスタンへ伸びる幹線道路のユーカリ並木および周辺の耕地は、杉山龍丸によるものだ。彼の偉大なる人物像を詳しく知りたい方は、『グリーン・ファーザー―インドの砂漠を緑にかえた日本人・杉山龍丸の軌跡』(杉山 満丸 (著) )をぜひ読んでみてほしい。