日本人旅行者

 このコラムももうネタがないため、というかネタはあるけど書くのがめんどくさいため、ほとんど更新ができなくなると思います。というわけで、言いたくても言えずにいたことを書いてしまおうと思う。

 僕が旅の中で極めて強い不快感を感じたもの、それは残念ながら我が同胞・日本人旅行者である。

 旅で出会った日本人はたくさんいる、かれらの大半の目的は現実逃避か薬物かどちらかだった。ゆえにすぐに日本人同士で群れるし、コミュニケーションのとり方が幼児レベル・社会不適合者といってよかった。

「一緒に行きましょう」
「一緒に食べませんか」
「一緒に来たんですよ」
「一緒にどうですか?」

 いつも一緒、一緒、一緒である。
 そういうわたくしも、旅に出てはじめのころは、日本人とよく一緒に行動していた。不安だったし。しかし、まともなアタマしていれば、連中とどう付き合っていけばよいのかすぐにわかってくる。そういったわけで、日本人旅行者を露骨に避けるようになっていった。

 しかしながら、当然すべての日本人がアホというわけではなく、マトモな人もたくさんいる。さらに、少数ではあるが、本当にカッコイイ旅人にも出会えた。ぼくの中ではどんな旅人がカッコよかったのか、それを少々綴ろうかと思う。ちなみにここで挙げる人に共通することは、強い信念を持っているということだろうか。そのほとんどが、旅に出た目的はあいまいで、旅をする中でいろんなことに気付いていったようだ。

【男前】
 ある国のドミトリーで同室になった男。しびれるほどの男前だった。出会ったとき、彼はたいへん堕落していた。やる気を失っていた。ひたすらドミのベッドの上で本を読み、寝、時々メシを食いに行くという生活を2週間ほどやっていた。
 ある日、彼に聞いてみた。これからどうするの?
 「日本では桜が咲いているころだよなぁ。桜を見に日本に帰るわ。それからアメリカに行くわ」
 彼は世界中を旅していたにもかかわらず、メジャーな観光地はほとんど訪れていなかった。桜を見に母国に立ち寄った後、その足で日本と正反対の国に行くという矛盾というか気まぐれさ。それこそが彼の信念だと思った。彼が男前じゃなかったらどうでもよかったかもしれない。結局人間は顔ということだ。

【修行女】
 この人とはインドで出会った。インド歴十数年の女性で、俺と歳は変わらないくらい。骨の髄までインド好き。インドの表面だけを見て好きだ嫌いだという人間を極度に嫌う人だった。彼女はインド中を旅していたのだが、ずっとサドゥーに付き添って旅していた。サドゥーが行く場所なので極度の田舎で水が真っ黄色ってところばかり。サドゥーの食事の世話をしたり、修業したりの毎日であるが、時々街に来ているという。純粋なまでにインドに浸かっている人をはじめて見たのだが、この地で人生が変わったんだなとしみじみ思わせられた。

【兄貴】
 ぼくに旅のスキルを教えてくれた兄貴的な男。群れるのが好きな人ではあったが、その明るさと気さくさで、旅に出て間もない俺の世話をやいてくれた。でも深いところまでずけずけと入ってくるようなことはなく、ちょうどいい距離をもって接してくれた。頭もよく、英語も堪能だった。彼の帰国3日ほど前に、某国で偶然再会し、酒を飲みながら今後の話を聞いた。突き当たる現実を前向きに覚悟していたのが印象的だった。俺よりけっこう年上ではあったが、帰国後すぐに仕事に就き、海外でバリバリ働いている。「自分が受けた親切は、他の誰かに必ず返せ」。旅が人生の中のひとつのプロセスであることと、人のつながりの大切さを教えてくれた人であった。

【エロ】
 エロに命をかけて旅する男。ここまで徹底していると清々しい。世界中の売春宿を渡り歩くプロで、その筋のライターかなんかだと思っていたら、ただの趣味らしい。これほど多くの経験をしているにもかかわらず、金に転換させようとしないところに、純粋なエロを見た。バックパッカー歴はそこそこ長いものの、英語がほとんど使えないというところもカッコイイ。エロにことばは必要ないということか。How much? だけ知っていればエロ旅はできるそうだ。

【写真家】
 プロの写真家。世界中の仏跡を巡礼しながら写真を撮り続けていた男。仏跡に限らず、その地域の土地、人、文化などを記録して歩いている人物。日本でも個展を開いているらしい。目的が最初から明確なので、一般のバックパッカーと一緒にするものではないが、こんな旅ができたら素敵だなと思う。旅は目的ではなく、手段ということだ。この構図を見失わなければ、きっといい結果が残せるのだろう。