インドに呼ばれたきっかけ

 インドは呼ばれた人しか行けないらしい。つまりぼくも呼ばれたということになる。しかし、ある日突然神の啓示のように「インドに来い」と言われたわけではない。ぼくの場合は、旅に出る数年前より徐々にインドに行くように仕向けられていたのだった。これは宿命だったのだろう。

 最初のきっかけは、ヒッピー文化への関心だった。特に音楽だった。
 ジョージ・ハリスンとの出会いにはじまり、グレイトフルデッド、ドアーズ、ゴング、ニール・ヤングといったヒッピー/トラベラー系の音楽へ。日本ではエンケンやフォーク・クルセダーズやモップスなど。そしてジミ・ヘンドリックスやクリーム、ホークウィンド、13thフロアエレベーターズ、ピンクフロイド、ブルーチアーなどのサイケデリック・ロックへ傾倒し、さらにゴア・ギルさん発端のゴア・トランスへも発展していく。アストラル・プロジェクション、シュポングル、GMSなど。

 そんなわけで、サイケデリック=インドという大きな勘違いから、インドへの興味が始まっていた。この図式をつくったのはビートルズに他ならない。インドに修業に行ったタイミングとLSDに影響された音楽になったタイミングが一緒だったということだろう。ドラッグカルチャーは完全に欧米文化で、もともとインドはドラッグカルチャーには一切関知していない。強いていえば、あの独特の風土や文化がドラッグであった、という見方だろうか。イギリス植民地だった過去からも、意外と身近な存在だったのかもしれない。
 ともかく、このような流れの中、自らインドにドアノックをしていたのだった。ドアノックはしたものの、返事はまだない状態だ。

 2度目のドアノックは、2人の友人がインドに旅立ち、おもしろくなって帰ってきたことだ。もともと面白い人たちだったのだが、彼らから聞く話が興味深く、刺激的だった。ここで、インドへの旅についての関心が強くなる。これが2度目のドアノック。インドに来てみないか、という声がようやく聞こえてきた。しかしまだ扉は開いていない。

 扉を開いたのは、インド人の友人との出会いだった。この友人との出会いにより、具体的にインドに行く運びになっていく。このとき、旅に出る半年前。ちょうど仕事をやめようと思っていたタイミングでもあり、ここでぼんやりインドに行く決心をする。
 決心をしてからは酔った勢いで「インドに行く」と騒ぎ始めるようになる。こうなると、ぼんやりとした決心はだんだんと顕在化してきて、後に引き下がれなくなってくるわけだ。ある意味ピエロ状態となる。しかしながらまんざらでもなく、徐々にインドのことを調べ始める。調べれば調べるほど恐ろしく、不安になってくる。が、日本とはあまりにもかけ離れた文化の中に身を投じたくて仕方なくなってくる。ジェットコースターに乗るような心理だろう。

 扉が開かれたら、あとは吸い込まれていくのみ。坂を転げ落ちるように。

 かの三島由紀夫もこう言っている。「人間には2種類いる。インドに行ける人と、行けぬまま死んでしまう人だ」 ぼくはインドに行ける人間だったようだ。

 聖書の中のフレーズに、「求めよ、さらば与えられん」ということばがある。これは神に対してだけでなく、何にでもいえることだと思う。自分からきっかけをつくり、何かしらの行動を起こして生まれた結果というものは、必ず己の為になることだ。ぼくの場合はたまたまインドだった。そして今は別のドアをノックし続けている。扉は徐々に開きつつある。