涙をふいて、避暑に行こう

「シン、明日はナイニタールに行くから。6時起きだからな!」

 起きたのは6時半。やべえ、急がないと!宿泊場所である学校跡を飛び出して家に向かうと、みんな余裕で寝てましたわ…。

 苦笑いの俺をよそにだんだんとみんな起き始め、大好きなアニーも現れた。寝起きのアニーは声がガラガラで少々不機嫌。これがまたかわいいんだよ。ほんとかわいいんだよ。みなさん準備にしばらくかかりそうなので、学校跡にもどってシャワーを浴びることに。しかしシャワー室にはそれはそれは膨大な数の蚊がわいており、シャワーどころじゃなかった。手を洗うので精いっぱいだった。

 学校跡はパパジーの別荘でもあるため、しばらくパパジーと話をしたり写真を撮ったりしていた。なぜかキーボード(casio製)があり、マイケルジャクソン・ベストの楽譜も添えられていた。

「お、マイケルジャクソン好きなの?パパジーやるじゃーん」
「いや、よく知らないんだ」
「ズコーーーーッ」
「なんだ?ズコーーーって」
「キーボード弾けるの?」
「練習中」

 楽曲知らないのに練習というのがよくわからないが、俺はキーボードを拝借して『イムジン河』を弾く。インドの田舎町の朝に鳴り響くイムジン河は悲しかった。俺は故郷(日本だよ!!)を想い、この曲を奏でた。帰りたくても帰れない。まだ帰るわけにはいかない。

 ヨガの雑誌を読んだりしていると、そこにアニーが来ました。いつものあまりにかわいい笑顔で。

「おはよー!朝ごはんだよ。一緒に行こっ!」
もーかわいいなあ。輝いたまっすぐな目で話しかけられ、俺はいつも素直に従ってしまう。なんなのこの子のパワーは。言われたとおり一緒に家に戻り、朝食をいただく。トーストはさっぱりしていて好き。アニーはパンの耳が嫌いなようで、すべて取り除いていた。

 ムルジさんに誘われてマルケットに行く。バイクのメンテナンスに行っただけなんだけど、これがかなりの道草になる。インドは道草のメッカだ。ムルジさんの地元だけあってバイク屋は知り合いばかり。そこで長い世間話が行われる。前述したとおり、シク教徒が多いため、コワモテの人ばかりで俺は委縮してしまう。でもみんなすごくいい人。気さくで明るくて親切。
 その中にグルメート・シンという男がいた。彼は日本語を使った。こんなクソ田舎で日本語が出たのに驚いたが、彼は以前、このへんの仲間たちとともに日本で働いていたという経歴を持つ。で、その時仕事でお世話になっていたというムラタさんという人のことを話し始め、その人にノリノリで電話をし始めた。そして案の定電話させられた。インドの田舎でいきなり赤の他人の日本人と話さなければならないという奇想天外な展開。ムラタさんから「彼からことづけでももらってきてくれ」と言われたので、グルメートからメッセージを預かる。帰国後このムラタさんのところに行くことになるのだが、これがまた笑えるんだよ。でもそれはまた後日…
後日談はこちらから

 グルメートに、家に来いよ、と誘われたので、彼のバイクにまたがり行ってきた。彼の家にはシヴァ神のばかでかいポスターとアムリトサルの黄金寺院(シク教の本山)のポスターがあった。ここでもやはりヒンドゥーとシクが共存していた。得体のしれない飲み物をいただいたのだが、あまりのまずさに精神も肉体も崩壊。で、彼が日本にいたころの写真をいろいろ見せてもらった。この男、ビールは飲むしエロ本も読む。全て満面の笑みだったのがインド人らしい。とにかく日本が気に入ったようで、かなりの好意を示していた。みんなとても優しくて最高の国だと言っていた。俺はそのおかげで今親切にしてもらえている。だから俺も、グルメートに親切にしてくれたムラタさんをはじめ、多くの人に感謝をしたい。

 バイクのメンテナンスが終わるころにはもうかなりの時間がたっていた。こんなんでナイニタールに行けるのだろうか。けっこう遠いんじゃなかった?山のてっぺんでしょ?
 ようやく家に戻り、そろそろ出発の時間。いったんシェリー家に戻り、そこで荷物をとってナイニタールに行く段取り。近づく別れは残酷きわまる。

「シン、次はいつ来るの?さみしいわ・・」
「いつかはわからない。でも絶対に来る」
「いつか、っていつ来るの?さみしいわ・・」
「5年以内には来るよ!絶対に」
「もっと早く来れないの?さみしいわ・・」
「できるだけ早く来るよ!絶対に!」
「絶対に来てね。さみしいわ・・」
「俺も、さみしいよ・・」
「さみしいわ・・」

 ハニー(実は俺と同じ年齢)は本当に悲しそうに別れを惜しんでくれた。まだまだちっちゃいメヘクには別れは理解できないだろう。一番仲良かったアニーは何も声をかけようとしてこなかった。たぶん、一番寂しがっていたのはアニーだろう。俺から身を隠すように、やや遠巻きで俺を見守っていた。メヘクにキスをしてもらい、バイクに乗る。涙がもう、ね。誰も見れない。見た瞬間涙があふれるにきまっている。俺をぐっと歯をくいしばってこらえる。でもその時にはもう涙は流れていた。止めることなんかできるわけがない。

> シェリー家までの道中は悲しくて仕方なかった。この途方もない悲しさと寂しさと虚しさ。人との別れはもうたくさん。でももう一つの別れが待っている。シェリー家との別れですわ。ここでとる最後の食事。いつもありがとうございました。食後急いで荷造りをする。最後にみんなで写真を撮り、本をプレゼントしてもらう。

「みんなほんとにありがとう。お父さん、学校すごく楽しかったよ。また授業やらせて(うそだけど)! ミセス、毎日料理おいしかった。ゴータム、またクリケットやろうな、今度はゆっくり遊ぼうぜ」

 よくもまあ得体のしれない外国人を世話してくれたものだ。俺はこの家で数独を覚え、信じられない甘さのデザートをいただき、学校を体験し、猿の脅威を知り、なにより家族の愛を教えてもらった。僕にとっては全く新鮮な体験だったが、かれらにとっても僕の存在が少しでも楽しいものに思えてもらえたら、とても幸せです。家を出る。みんなの見送る姿に感情が…。

 ムルジさんとナイニタールに旅立つ。ローカルバスに乗る。バスの中、男泣きをしていた俺は体中の水分がなくなってしまってひからびてきた。そこへバス休憩があり、公共の井戸があった。とても冷たい井戸水で回復するものの、今日は人との別れが多過ぎてつらい気持ちはずっとあった。出会いはいつも素晴らしい。しかし別れはいつも悲しい。5年以内には必ず再訪する。みんなにはっきりそう伝えてきた。でももしかすると二度と会えないかもしれないじゃないか。そんなこと考える自分がまた薄情な気がする。事実、また会える保証などどこにもないけど。

 移動中のバスから火事を見た。低いカーストなのだろうか、藁とビニールシートの粗末な貧民集落での火災。水を持った人々が右往左往していたが、この乾燥した気候で藁の家なんかひとたまりもない。バスはあっさり通り過ぎたけど、被害はかなりのものだったに違いない。俺はほんの一瞬を見守ることしかできなかっ た。何とも言えない気持ちになった。

 バスはハリドワニに着く。ここからタクシーに乗り換えてナイニタールに行くのだ。俺のバックパックがおもむろにタクシーの屋根にくくりつけられる。大丈夫かよ。これから山道でしょ? マルチスズキ製なのがせめてもの救い。タクシーは他の乗客と相乗りだったんだけど、車は軽自動車くらいの大きさなんだけどね、乗員がなんと7人。なんでいつもこうなの。バスにしてもそうだけど、なんで定員の倍乗れるの。タクシーの屋根の荷物も山盛りだ。こんなコンディションでこれから峠を攻めるわけだ。

 ここで、ナイニタールについて説明しなければなるまい。ここはシムラーと並び、北インド有数の避暑地のひとつ。現在インドは酷暑期のため(ほとんど触れてないけど、毎日毎日ほんとにクソ暑い)、観光客も多いはず。リゾート地だからなにかと高くつくし、訪れる人間も裕福な層ばかり。俺は特にナイニタールに興味があったわけじゃない。そういうスケジュールになっていた。心遣いありがとうございます。クソ暑い毎日だから、涼しい地に行けるのはとてもうれしいです。

 タクシーは山道を爆走。日本と同じようなくねっくねの峠道をひた走る。カーブのところで平気で追い越しをするなど、スリル満点事故寸前の恐ろしいドライブだ。いつもながらインド人の運転技術には驚かされる。だってカーブで追い越した時、対向車が来たらどうするつもりなの?いつもこんなギャンブルして事故らないってすごいよね。乗客ははいたって冷静で談笑している。ここもおもしろいんだよね。会ってすぐの人とすぐに打ち解けてるの。

 かなりの標高になってきたようで、明らかに空気が冷たくなってきた。きれいな山々。地元を思い出す。そして夕日のきれいなこと!!ナイニタールに着いたころには日は落ちて薄暗くなっていた。大きな湖があり、それを囲むように街が築かれている。山の斜面に造られた建物群の光景は異様なものだ。観光客もかなり多く、全てインド人。それも明らかに富裕層。涼しいというより寒いくらいで非常に快適。

 ホテルがどこもいっぱいで、なんとかおさえたホテルはシティハートホテルという中級ホテル。俺が今まで泊まったどんな宿よりも豪華できれい。支払いは俺。ここだけは譲れなかった。俺とムルジさんの支払いについてのやりとりに心を打たれたホテルのオーナーが2泊1200Rs→1000Rsにしてくれた。やるじゃーん!チェックイン後、とりあえずルームサービスのコーヒーを頼み、少し休んだ後外に出る。マーケットに行く。マーケットの衣類関係の店員はチベット人女性ばかりだった。なんでだろう?

 ところでこのナイニタール旅行のスポンサーはシェリー氏である。ムルジさんは彼からスケジュールをもらっており、今後まったくこのスケジュール通り観光することになる。かなり細かいスケジュールでナイニタールのあらゆる観光地を回るスケジュール。当然お金がかかる。もちろん俺には払わせてくれない。とにかくお金を支払ってもらうことに恐縮してしまい、逆にストレスになる。そのお金は家族のためにつかってくれ。俺は何もいらない。ここにいられるだけでとても幸せなんだと伝えたのだが。ちなみにリゾート地とは言え、やはりメシの量は半端じゃなかった。もちろん物価はかなり高め。

 ホテルに戻り、湯船につかりたかったのだが、水しか出ねえ…。夜になるとかなりの寒さになるこの地で水シャワーは自殺行為。というわけで、次回はナイニタール観光。

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