ルンビニに到着

 やったー。ようやくポカラを去る時が来たよー。早起きしてせっせと蚊帳を片付けて準備。6:30前にチェックアウト。これからブッダ生誕の地・ルンビニに向かいます。そのためにまずはバイラワに行かなければならない。とりあえずバスパークまで雨の中歩く。

 ツーリストバスパークなので外国人がたくさんいる。しばらく待つとレポートタイムになり、荷物を積む。てっきり屋根の上に積まれるかと覚悟してたんだけど、車両後部の小さなトランクに俺のバックパックを入れてくれた。今日は雨がずっと降ってそうだから助かるわ。バスはツーリストバスとは名ばかりのボロボロのローカルバス。最後部座席窓際の席を確保し、さあ、これから外の景色を眺めながらのんびり行きましょう。・・と、ある外国人が声をかけてくる。

 「隣座ってもいいか?」
 「No!」

 即答です。なんで席がほかに空いてるのにわざわざ俺の隣に座りたいわけ?ホモ? バスは出発。外の景色はとてもいい感じです。緑と水にあふれた肥沃な大地。こういう時間が一番落ち着くな。バスは淡々と進んでいき、道中はとくに何のトラブルもなく、今思えば実につまらない。が、実際にトラブルがあったらあったで発狂してただろうね。まあ実質ローカルバスだったから停車がかなり多かったためイライラはあったけど。

 16時頃バイラワに無事到着。ここからルンビニに向かいます。ルンビニ行きのバスに乗り換える。外国人は俺入れて3人。ひとりは韓国人の女の子、もうひとりはオーストラリア人男性。3人仲良く最後部座席(とても狭い)に乗る。で、このオーストラリア人男性の外見はどうみても日本人。完璧なアジア顔。誰がどう見てもアジアン。そしてボクシングの亀田の父親にそっくりである。体格も大きい。ちなみに韓国人の女の子は愛想がなかったのでほとんどしゃべらなかった。コリアンガールは基本愛想がない。それに比べ、とある国でバスの隣に座ったドイツ人の女の子とはへヴィメタルの話でひたすら盛り上がったもんだ。

 ルンビニには3,40分くらいで到着。ここでルンビニについて簡単にご紹介しましょう。インドとの国境辺りにある小さな村で、先述したとおり、あのゴータマ・ブッダが生まれた地。当時ここはインドだったわけですね。仏教徒最大の聖地の一つとされ、世界遺産にも登録されている。インドのブッダガヤのように、世界中の仏教寺が建ち並び、この区画は柵に囲まれ、入場にはゲートを通らないといけない。ちなみにこの区画は丹下健三氏がプランニングしたとのこと。
 バスはゲート前に到着し、俺たちは降りる。オーストラリア人とともに行動する。メインゲートにおいて名簿に名前を書かされる。が、オーストラリア人の明らかなアジア顔と日本人の俺と一緒にいたことから守衛にメチャメチャ疑われてた(笑)。

 「オーストラリア人? 日本人じゃないのか?」
 「いや、俺はオーストラリア人だよ」
 「本当に!? 日本人だろ」
 「いや、本当にオーストラリア人だ」
 「いやいやいや」
 「いやいやいや」

 こんな感じでずっと揉めていたのを俺はニヤニヤ眺めていた。決してフォローはしない。亀田親父は真剣。結局パスポート見せて納得させてたけど。彼は目的のゲストハウスがあるということで、ここで別れる。俺の泊まる場所は韓国寺である。宿坊がある外国寺は他にいくつかあるんだけど、韓国寺のいいところはしっかり食事がついてきて、おまけにキムチまでつく。ということで、雨に濡れながら歩く。けっこう遠いじゃねえか。
 韓国寺本殿はこの当時建築中であったが、その他の施設はしっかりしていた。寺につくとスタッフが快く対応してくれた。少し話をしていると鐘がなった。

 「ちょうど夕食の時間です。食堂にご案内しましょう」
 「ええぇっ!? 食事がつくのかい!?」(マスオさん風)

 とわざとらしく反応したものの、知ってる。というかホントだったんだな。素晴らしい。そのまま食堂の方に案内してもらった。広い食堂にはモンクがいて、「アニョハセヨー」とあいさつ。オレ、日本人だけどいいっすか?おじゃましていいっすか?料理は自分で皿に盛っていくという形式で、ヴィパッサナーの頃を思い出す。食事はダルバートで、噂通りキムチもあったよ!美味かった。
 食事タイムは、この宿坊に泊まっている旅人が一堂に会する場所でもある。オフシーズンのため、全部で10人程度しかおらず、ほとんどが韓国人。旅に出てから韓国人って清潔で礼儀正しくて優しくていいなと思っていたんだけど、ここでもそれは間違いなかった。俺がテーブルにつくと、数人集まってきて気さくに声かけてもらって仲良くご飯食べました。みんなけっこう日本語知ってるのな。

 「きみたち、韓国人ならイムジン河しってるよね?」
 「それ北の歌でしょー?」

 話がそれますが、このバックパッカーの旅の前に、仕事でソウルに行ったことがある。仕事の翌日自由時間だったため、ソウル市内をフラフラと飲み歩いてた。昼間から飲んでる人間なんかほとんどいなかったけど、行く先々の飲み屋でけっこうからんでもらった。因縁つけられてケンカになったとかじゃなくて、日本人?お話しましょ!ってかんじで仲良くしてくれたの。まあみんな若くて英語も流暢に話せる育ちのよさそうな若者だったけどね。あと俺が超絶イケメンだったことも理由だろう。それまで俺は、韓国は日本の敵だと思ってたけど、その韓国出張と今回のバックパッカーで、育ちが良くて教養があり、ひとり旅に出る余裕がある若い韓国人はとても友好的だってことがよくわかった。日本を嫌っているのは一部であり、そのほとんどは日本への嫉妬からきている。韓国というアホ国家はいつまでたっても経済的にもパッとせず、観光資源にも乏しいがために、政治的なカードでもってたかりを行っているだけだし、元慰安婦も同じだ。歴史も文化も日本に遠く及ばないのは事実だけど、そこに負い目を感じすぎだろうと思う。歴史的に蹂躙され続けたという事実はどうしようもないことだ。今と未来こそが大切ではないか。過去を、歴史を歪曲し、民族の誇りやアイデンティティを失い、鬱屈した劣等民族のレッテルを自ら貼ってどうなるというのだ。一般的に、韓国人観光客は世界中でとても嫌われているのは事実。フランス人や中国人と並んで嫌われている。しかしながら、少なくとも僕が出会い交流した韓国人はみんな未来に生きていたように思う。すばらしい若者たちだった。そもそも韓国だろうが日本だろうがアメリカだろうかどんな国とかは関係なく、文化レベルが高い人は嫌われるようなことはしません。ケンカを売ることもありえません。これは真理です。

 食後、宿坊に案内される。そこにはすでに一人の日本人がいた。君・・、ポカラの宿で一瞬だけ会ったよね。ちょうど俺と入れ替わりでチェックアウトしていった。まさかここでまた会うとはね。。彼も今日ここに来たらしい。彼はトレッキングに行った男。ということは、わかります。その言動で最初からわかりました。もうホントに困ったちゃん。おかげで会話が成り立ちません。まだ出会ったばかりです。お互い恥をかかぬよう、極力発言に気をつけながら徐々に無言になっていくのであった。

 ちなみに宿坊には蚊帳が常備されていて助かった。寺が林の中にあるもんだから、虫や動物がとにかく多いので。けっこう蚊が多かったので蚊取り線香は炊いた。

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